品質マニュアルは、品質マネジメントシステムの仕様書か

審査では、前回の指摘事項を確認することになっている。下記の指摘について、指摘のいきさつや、どのように改善したのか確認したかった。

指摘事項(改善の機会)

「品質マニュアルは、QMSの仕様書です(JIS Q 9000:2015 3.8.8項参照)が、2015年版規格の内容の多くは反映されておりません。新規格が運用されていない事例が観察されるため、QMへの規格内容の反映の必要性の検討及び/又は新規格の要員への教育訓練の必要性検討の余地があります。」

審査初日に、管理責任者に確認した。

前回の審査員は、品質マニュアルは、ISO9000:2015 品質マネジメントシステムーー基本及び用語 を引用して、品質マニュアルは、ISO9001:2015 品質マネジメントシステム 要求事項 を引用し、仕様書に即して要求事項をそのまま記述し、組織の適用、手順書他を付け加えて作成するものです とあったという。品質マニュアルは、要求規格を丸写しして、当組織の手順書、記録などを付け加えて作成するとあり、それに、改善して再作成してくださいということであった。

私がいただいた当組織の品質マニュアルは、第1章適用範囲、第2章計画、第3章運用、第4章評価・分析、第5章対策 となっていた。管理責任者に品質マニュアルは、改訂したのですか と確認したところ、新しい審査員が来たとき、確認してから行おうと改訂しませんでしたとあった。そして、私に品質マニュアルは、要求事項を丸写ししたものを作成しなければならないのですかと聞いてきた。

私は、品質マニュアル作成は、規格の要求事項からなくなった、従って、品質マニュアルは、作成してもよいし、作成しなくてもよいですね。また、作成するにしても規格要求事項を丸写しするかどうかは、組織の自由です。皆さんの品質マニュアルは、社内で検討し、このように作成しようと決めたのであれば、それでよいです。

管理責任者は、審査機関の規格説明会で、上記のように聞きました。従って、私たちの組織では、審査機関に渡した、今回私がいただいた品質マニュアルを作成しました。規格要求事項に従ったものではなく、当社の実施すべきことをまとめたものにしました。

前回の審査員との間では、このことを説明しましたか、と聞いた。

管理責任者は、審査員に貴社説明会で聞いたことを話し、品質マニュアルは、規格要求事項ではなくなったので自由に作成してよいと聞き、社内で検討した結果がこのようになったのですと説明した。

しかし審査員は、ISO9000:2015 品質マネジメントシステムーー基本及び用語 の品質マニュアルの用語の定義、品質マネジメントシステムの仕様書 だから、規格の要求事項をそのまま記述し、貴社の手順書、記録などを追加して作成してください とあった。

これについて、管理責任者と審査員のあいだで平行線となった。組織幹部の意見で、審査員の意見を聞いて改善していこうとなり、改善の機会を受け入れた。

管理責任者は、品質マニュアルを改訂せず、今回審査員私の意見を聞いてから、改訂するかどうか決めたいと考えているとあった。そして私の意見を確認してきた。

私の考えは、上記の通りです。品質マニュアルは、作成しても良いし、作成しなくても良いです。作成するとき、どのように作成するかは、組織の自由です。貴社が、作成したもので良いと考えます。付け加えるならば、品質マニュアルは、誰が読むのか、読む人にわかりやすくなっているかが大事だと思います、と話した。

審査員は、品質マニュアルに要求事項に従った記述、規格要求事項のデッドコピーを未だ求めているのかと、非常に古い型の審査員であろう。1994年版までは、これで良かったが、2000年版から規格要求事項のデッドコピーを求めていない。その後の2008年版、2015年版しかりである。無用な要求(改善の機会)は、しない方が良く、組織に無用な混乱を及ぼすことになる。

また、基本と用語にあるが、品質マニュアルが、品質マネジメントシステムの仕様書と位置づけるなら、要求事項に明確に要求されるだろう。しかし要求されていないので、あくまで、参考の位置づけで良いのではないか。それとも、日本語への翻訳で十分意図したものになっていなかったのではないか。

注)ISO9001:2015 品質マネジメントシステムーー要求事項の引用規格としてISO9000:2015 品質マネジメントシステムーー基本及び用語 があるが、審査で使用するのものではない。

マネジメントレビュー開催通知にISO9001:2015の 9.3項により招集と書かれていた

管理責任者インタビューで、マネジメントレビューの結果を確認することにした。

管理責任者にマネジメントレビューをどのように実施しましたかと聞いた。すると、下記のような資料が提出された。

  • マネジメントレビュー開催通知
  • マネジメントレビューの資料
  • マネジメントレビュー議事録

資料が提示されたので、一つ一つ見ていくことにした。

 

まず、開催通知から確認した。開催日、時間及び内容が書かれていた。出席者の一覧があった。出席者一覧の最後に書かれていたのは、「ISO9001:2015の9.3項に従い、招集する、出席依頼者は、全員出席すること」とあった。未だかって、開催通知にISO規格要求項目を書いて、出席依頼していたのを見たのは、初めてであった。また、これは、警察官が犯罪者を取り締まるにあたり、「法令○条に従い、逮捕する」と同じではないかと、違和感を感じた。それで、なぜこのように書いたのですかと質問してみた。

 

管理責任者から、出席が悪いのです。何かと忙しいと言って欠席するのです、とあった。また、品質保証部門の会議には、出席者が喜んでくるものはなく、強制的に出てもらうものが多いのです。

そうか、苦労してマネジメントレビューを実施しているのだなぁー。なぜ、出席しないのだろうか。

 

マネジメントレビューの資料を確認してみた。9.3.2項のインプットに従い、全てを網羅していた。また、議事録を確認した。特に社長指示事項を見た。特に目新しいものはなく、包括的なもので、具体的な指示はなかった。マネジメントレビューは、年1回開催となっていた。

 

これでは、マネジメントレビューが役立っているとは、思えなかった。では、どのようにすれば、効果的なものにすることができるか、頭の中で考え始めた。管理責任者にどのように説明すれば良いか、9.3の条項の内容を思い浮かべながら、話した。規格は、マネジメントレビューは一度に全てを実施するように要求していない。また回数も指定していない。年に一回でも良いが、月に、週に一回でも良い。運用方法を変更することにより、必要な出席者が全て出てくるのではないか。

 

9.3,2項の要求事項

a)「前回までのマネジメントレビューの結果とった処置の状況」は、全ての会議で行われるものである。

b)「品質マネジメントシステムに関連する外部及び内部の課題の変化」は、貴社の予算会議又は経営会議で検討されているのではないですか。予算会議で各部門の目標達成のために外部・内部の課題を書いているのではないですか。前期の結果から今期の目標を記載するにあたり、変化を記載しているのではないですか。予算会議は、必ず期の初めに実施しているのではないですか。

c)は、細分化されているが、1) 「顧客満足及び密接に関連する利害関係者からのフィードバック」は、営業会議又は経営会議で実施されているのでないか。顧客の状況及び利害関係者からのフィードバックは、具体的には、何かを考えて、どの会議が該当するかを考えれば良いです。利害関係者に法令・規制事項を入れているのであれば、この変更は、営業会議や経営会議で報告されているのではないですか。2) 「品質目標が満たされている程度」は、品質管理委員会で報告されているのではないか。このように考えていけば、年に1回管理責任者が資料をまとめて、経営者及び役員を招集しなくてもできるのではないですか。

 

管理責任者から、目から鱗で、初めてこのように考えることを聞きました。過去の審査員に聞いたところ、マネジメントレビューは、年に1回社長ほか役員を集めて実施すると聞き、集められなかったのは、管理責任者の責任です、と言われてきました。このようなやり方なら、管理責任者の責務が少なくなったようだ、肩の荷が下りたというか、このようなやり方でやっていきます。心配なのは、次に来る審査員が、このようなやり方で承知するか、心配です。

 

私が、話したように規格には、具体的どのようにレビューするか、頻度や一度の会議又は複数の会議でやるかとは、要求していないことを説明することです。審査員の一方的な解釈ではなく、規格に従って良く相談することと、効果的に実施することを考えた方が良いです。

このように話したが、なかなか自信がないようであった。確かに審査員と渡り合って、堂々と審査員に対して、審査員が間違っていますよということは難しいかもしれない。

審査員の目:予防処置とリスク対応

 「予防処置」は、ISO9000:2015によると、「起こり得る不適合又はその他の起こり得る望ましくない状況の原因を除去するための処置」と定義される。是正処置は、顕在化した故障や不具合に対して事後的に応急処置と恒久対策を施して同じ原因によるエラーを二度と発生さないよう処理するのに対して、予防処置は、不具合や不適合の発生を未然に防止するために処理する活動である。

このような改善活動の積み重ねによりプロセス、仕組みが継続的に改善されていき、業績向上が期待できるはずである。

しかし、多くの企業の実態を見ていると、予防処置にあっては、是正処置と同等に取り扱い、効果を上げている組織は、非常に少ないことである。これは、予防処置に活かせる情報源に何があるかの認識があまりない、あるいは、ISO9001:2008年版の8.4項の「データの分析」のc)項「予防処置の機会を得ることを含むプロセス及び製品の、特性及び傾向」とあるように、これらプロセスや製品に関するデータを予防処置の情報源として捉えていないからと考えられる。

このような現状を打破するため、2015年版では、予防処置をより徹底した形で実践するため、計画段階でプロセスに伴うリスク及び機会を特定し、これらを考慮して予防処置を組み込んだシステムを計画し、実施し、その結果を評価して不十分な点があれば改善するモデルになっている。

 しかし、問題は、「リスクとは、何か」を正しく、理解できていない組織が多いことである。日本人の潜在意識の中にリスクとは、「危険」とか、「危機一髪」という先入観が深く沁みついているため、ISO9000の定義「不確かさの影響」の概念を理解する妨げになっているようである。

不確かさの影響とは、日常的に仕事上で発生する問題点「事業目的の遂行を阻害する要因」をリスクとして取り扱うべきところを、むしろ非常時など不測の事態や重大リスクに焦点を合わせる過ぎる傾向があるため、組織を取り巻く内外の課題からリスク及び機会の十分な洗い出しや特定を難しくしている。これでは、適切な予防処置プロセスにはならないと考える。

 こうした問題(リスクを正しく理解していない)をもつ組織に対しては、リスクの理解度を高かめるために、審査員の役割として、積極的に指摘を行い、QMSのパフォーマンスの有効性を改善できるように対応していく必要がある。

地震が日本の歴史を創造

地震が起ったために、その後の歴史が変わったといわれる地震や津波がある。
人知の及ばない自然現象は「天の采配」として、時の権力者や権力を狙うグループに襲いかかる。
我々は歴史の結果を知って批判をしているが、当事者は必死にもがいているだけである。

地震や津波の被害に対する応急処置の良し悪しによって、時の権力者の良し悪しの評価となり、時の天皇や将軍を支持していくかどうかの判断をした。
つまり税金や食糧の出納を行っていくかどうかの判断を責められたのである。
平安時代には天皇の詔で対処した。
鎌倉時代には宮将軍が地震を理由に京都へ追い払われた事例もある。
もっとも、鎌倉の執権北条氏と朝廷との争いの結果ではあるが、飾り将軍が意思を持つと排除された。

源平合戦(1180年〜1185年)にも地震が絡む。1185年(元暦2年3月24日)の「壇ノ浦の戦い」後、7月9日に起きた「文治地震」は琵琶湖西岸断層帯の南部堅田断層から大地震が発生した。京都は壊滅的被害を受けた。しかし、地震の被害は全国にまたがり南海トラフの巨大地震であったと推定される。平家の元所領であったが頼朝の所領になっていた西国や日本海側も被害甚大、そのため世間では「平清盛が龍になって地震を起こした」と噂され、「龍王勤(りゅうおうきん)」とも呼ばれている。源頼朝にとっては地震が追い風となり「武士の時代を開く鍵」となった。

1185年(文治元年12月21日)には「文治勅許」で頼朝に守護・地頭の設置を許し地震の復興を行わせた。元所領の地震災害に貢献できなかった西日本の平氏は出る幕がほとんどなくなった。しかし、頼朝は源義経を追討し、ついでに奥州の藤原氏を壊滅させた。

もともと頼朝が関東の戦いで勝ちえたのも関東の武士達の朝廷に対する不満が潜在していたからである。
878年(元慶3年9月29日)には相模・武蔵で伊勢原断層による地震が起き、相模国が大きな被害を受けた。
関東諸国の建物で無傷なものがなく、圧死者が数知れずといわれている。

朝廷では嵯峨天皇の「不徳の詔」を出したが、それで地震の被害者が救われたわけではない。
9年前の869年(貞観11年5月26日夜)に古代最大の地震である「貞観地震」も経験していた坂東以北の武者たちは源義家と奥州で戦った武者達の子孫でもある。
劣勢の頼朝に味方して朝廷の一旦であった伊勢平氏と対立していった。もともと、坂東八平氏から離れていった分家が伊勢平氏であり、平清盛はその子孫である。

伊勢原地震の頃の朝廷側では菅原道真が「地震の成り立ち」の試験問題を答えて官位に採用された。地震が頻繁に起こっていたから試験問題になったのであるが、回答は唐の漢文による知識であった。
道真が藤原氏の他氏排除による失脚後、関東では平将門の乱が起った。
同族の領地争いが原因であったが、藤原氏の他氏排除の政策の延長に起こった反乱であった。

源氏でも源高明が「安和の変」で失脚し、朝廷は藤原一色の摂関政治になった。
奥州では「前五年・後三年の役」が起り、源氏の戦いに関東の武者達も戦いに巻き込まれていく。

伊勢平氏から出た平忠盛が荘園を寄付して昇殿を許され、京都では平氏の分家が源氏と争い、政権の座についた。
関東では平将門を成敗した武家の子孫同士が、敵味方に分かれての混乱は「平将門の怨霊」が災いして頼朝の縁者を排除して、鎌倉幕府として日本を統治していく。

1290年(正応6年4月12日)の「永仁鎌倉地震」の後で「平禅門の乱」が起った。
執権北条貞時が地震の災害の大きさ恐怖となり内官領の平頼綱に権力が争奪されるとの妄想にとらわれたヒステリー粛清劇であった。
鎌倉の平氏が滅亡していく内紛でもあった。40年後に源氏による室町幕府ができるのも永仁鎌倉地震の結果であろう。

1498年(明応7年8月25日)の「明応東海地震」の後には二人の足利将軍(義植と義澄)の対立に発展していく。
津波によって鎌倉の高徳院の大仏の台座が流された。大きな津波地震は当然、大きな災害であった。
西伊豆や沼津などでは10メートル〜30メートルの大津波が押しよせ、被害甚大であった。
そんな状況下で室町幕府の政所執事の伊勢守時が今川氏の縁者として将軍足利義澄の「義兄堀越公方茶々丸討伐の命」を受けて伊豆入りした。

地震によって浜名湖が淡水湖から海岸線がえぐられ淡水湖から汽水湖になったため将軍足利義植方の西方からの兵は攻めてくることはなかった。
盛時は足利茶々丸を敗死させ、「四公六民」の善政を布いた。早雲は韮山城を居城としていたが、小田原城を攻め「下剋上の先駆け」となった。  
伊勢盛時は伊勢新九郎とも北条早雲ともいわれている。
鎌倉幕府の北条の家の子孫とも縁を結び、関東に覇権を及ぼしていった。

早雲の孫の北条氏康が後北条として関八州を平定するが、戦国時代には徳川家康が江戸城に入城して、後北条の関八州をそっくり手中に納め、徳川幕府の拠点となった。
現在、江戸城は明治維新により皇居になったが明応地震の結果ともいえる。

時の流れを一挙に過去から現在へシフトさせると、首都直下型地震が4年以内に起こる確率は70パーセントと発表されている。
また、南海トラフト巨大地震が今年中に起こると予言する人もいる。予知研究を行っている村井俊治元教授は伊豆半島付近より南の太平洋が怪しいと明言している。
電子基準点を16基設置することを予定した。

しかし、科学的予想をあざ笑うがごとく、大阪北部で断層地震が発生した。
それに加えてゲリラ豪雨が西日本各地を襲った。川が逆流する災害も発生した。
東から西に向かう台風も起こった。
突然、首都圏ゲリラ豪雨も発生し、経験のない都民もその恐怖を味わった。

現代では首相が集中豪雨地を視察し、国の災害費用の供出で国の安全が保たれている。
ボランテアの活動で国民がその状況を確認し、どう評価するのかによって政権の良し悪しの基準にも影響し、審判が下る。
次の大地震によって歴史はどう変遷していくのだろう。
2018年(平成30年9月6日)に北海道で強度7の大型地震が発生した。全道で電力の供給が停止に追い込まれた。

当然、インフラもバタバタになり、携帯も電源の補給ができなくなり、旅行客が親や知人に無事を連絡できず困惑している。
NTT東日本では公衆電話を無料にして旅行客などに提供した。
賢明な判断であった。

関係者への状況連絡は精神的な安心につながる。
高度情報化の社会の日本の未来に不安が拡大していく。

日本中、どこにいても地震災害にぶち当たる。対岸の火事ではすまされない。
それらの災害は「想定内の災害」とみるべきである。
現在の住居の場所に地震災害が起こる可能性が常にあることを認識し、BCMの考え方や手法を取り入れて①事前に予防策や代替策を講じる。②発生後の被害を極力押させる手立てを事前に講じておくかどうかで生死を分けるほど重要であると考えなければならない。

NHK総合テレビのクイズバラエティ番組のチコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねよ!」と叱られそうだ。

担当:和田

内部監査の目的

私は、ISO9000の審査員を1995年から行っている。1994年版が出た直後であった。94年版から審査を始めた。審査では、登録認証(登録審査)、維持認証(定期審査)(注1)を通して、適合性を見ていた。不適合を見つけることが楽しみであったかもしれない。その後、2000年改訂を経験し、審査員として、考え方が変わってきた。それは、不適合を摘出することも大事だが、受審組織が審査を受けて、良かったと感じるかどうかを考え始めた。それは、要求事項に書かれた文言だけの審査からの脱皮を意味していた。いやいや文言の解釈には、受審組織、審査員により、異なるものがあった。

94年版の審査は、簡単であった。要求事項どおりであればよかった。箇条に従って審査すればよかった。文言も同じものを要求していた。しかし00年版から、受審組織の文化、風土を尊重し、言葉も受審組織の言葉を使っていこうとなった。審査方法も顧客の業務の進め方、プロセスに従って行う、プロセス審査となり、規格要求事項の箇条どおりではなくなった。このような中で、「受審組織が審査を受けて良かった」と感じるには、どうしたらよいかを考え始めた。審査方法が変わり、容易に結論は出なかった。審査員として、顧客が実施している内部監査を見ることは、手短な効果を上げるものだと考えた。

どこの受審組織も内部監査は、実施している。いや9001:87から今も9001:2015でも内部監査は、必須であり、内部監査を実施していないと審査を受けられないものである。私は、内部監査の効果は、内部監査の目的設定にあると考え、受審組織がどのように目的を設定しているかを見ていった。大きな組織では、ISO9001:2015要求事項と同じく、
a) 次の事項に適合している。
1) 品質マネジメントシステムに関して,組織自体が規定した要求事項
2) この規格の要求事項
b) 有効に実施され,維持されている。
をそのまま記述しているものが多かった。中小企業では、コンサルタントから言われて、目的を、「定期監査」と記述しているものが多かった。また監査の目的を書いていない受審組織もあった。

内部監査の目的について、何も書いていないのは、論外かもしれないが、審査を受けるにあたり、規格が要求しているから、実施しているのだと言わんばかりの受審組織があった。
内部監査の目的を「定期監査」としているのは、監査の種類を表すものであり、目的ではないと説明し、上記ISO9001:2015と同じくa)、b)が目的を示していると説明した。監査計画書で、上記a)、b)を記述している受審組織には、適合性は、登録審査、移行審査にて、概略、クリアしているのではないか。適合していることを確認する、いや不適合を見つけることを目的にして、効果が上がるだろうか、被監査部署は、いい感じがするだろうかと疑問を投げかけた。そして、b)の「有効に実施され、維持されている」とは、どんなことだろうかと議論していった。

時間の経過とともに、ものごとをなしていく、受注の獲得、設計、製造及び品質保証を通して結果を出すために、やり方(手順)、設備、人、材料、評価等4M,5Mは変わっていくでしょう。その変化に品質マネジメントシステムが対応しているかを見ていく必要があるのではないだろうか、と話した。また逆に他社や業界の変化から自社の立ち位置を確認し、4M,5Mを変更することを促し、品質マネジメントシステムをスパイラルアップしていくのも必要ではないか と話した。これらについて、受審組織の了解を得た。

更にa)の適合性については、9001規格要求事項及び社内で規定した要求事項等をそのまま箇条通り確認して効果が上がるだろうかと話し、プロセス審査なので、業務の流れ、ものの流れに従って確認していくと良いと話した。規定と現実の相違については、議論し、多分規定に無理があるのではないかと話し、不適合にするのではなく、手順ほかの改善につなげてはどうかと話した。更に顧客クレームや内部、外部で発生した不具合、不適合について、横展開、規定と現実を再確認し、よりよい4M、5Mにするよう改善を見いだす監査にしたらどうかと提案した。

このような審査をしていく中で、内部監査の目的をただ、a)、b)と書くのではなく、更に具体的に、目的を狭小化することにより、効果が上がるのではないかと話してきた。例えば、○○のトラブルの発生により、手順、設備、人、材料、評価等をどのように見直したか(他部署の確認を含む)、それは、次の△年に耐えられるか と書いたらどうかと話してきた。受審組織で、これを実践しているところは、内部監査で被監査部門から喜んで受けるようになり、効果が上がってきていると聞いている。更に他の審査員がこれを見習い、内部監査の目的が具体的になっていないと改善の機会に指摘するものを見いだすと、何かうれしい気持ちになる。

注1:更新審査、再認証審査は、その後に始まった。

藤井 敏雄

是正処置はこう使う

長年、審査活動を通して感じてきたことであるが、これまで多くの企業においてこの是正処置という改善活動が上手に活用してこなかったため、残念ながら、業績向上に結びついていないのが実状である。

データが古いが、JABのアンケート調査(2007年)でも「不適合の是正処置が表面的なものに終わっている」と多くの企業自身が不満をもっていることが報告されている。これは、真の原因が特定されていないため、再発防止策にならず、また同じような問題が発生してしまうという悪循環を繰り返してきた。

これには、2つの大きな原因があると考えられる。

一つは、製品という成果物に不具合が発生し、その不具合の真の原因を特定する場合、その成果物が材料(Material)、手順(Method)、機械(Machine)、作業者(Man)など4Mの関わりあいを持ちながら造られてくる。

仮にその成果物に不具合があれば、原因を究明していくときには当然その4Mに起因した要因系にその原因がないかどうかを「なぜなぜ分析」などにより辿っていくことになる。

その結果、真の原因らしきものが4つの要因系から複数出てきて当然である。複数の再発防止策を講ずることにより不具合問題を恒久的に改善することが可能になる。

しかし、実際には、4Mの内の作業者(Man)の要因系しか考慮せずに、ヒューマンエラーが唯一の原因であるかのように片づけてしまう企業があまりにも多いことである。

もう一つの原因は、この4Mの要因系それぞれにおいて、分析が不十分なために真の原因を捉えきれていないためである。

それは、一つの要因系に着目して、なぜなぜ分析を行う場合、例えば、二次分析の段階で、得られた分析結果が即、対策に結びつくような原因が炙り出されていない場合には、その得られた仮の原因を結果系に置き換えて、更に、何故、そのような結果になったかの原因を追究していかなければならないが、中途半端で終わっているケースである。

対策に結びつくような原因が炙り出されるところまでなぜなぜ分析を三次、四次と展開し、見えてきたらそこで分析を打ち切ればよい。

そうすれば、自ずと対策が見えてくるはずである。

是正処置とは、顕在化した故障や不具合に対して事後的に応急処置と恒久対策を施して同じ原因によるエラーを二度と発生さないよう処理する活動である。

いわゆる再発防止対策が効果的に歯止めとしての役割を担っている状態を維持・管理する仕組みや手順を標準化(必要であれば文書化)することになる。

そして、その仕組みや手順が定着したと判断できるところまで見届けて初めてその効果を確認したことになる。

このようにプロセス、仕組みが定着することにより、それを拠りどころとして、次なる改善活動が初めて可能となる。

こうして是正処置の積み重ねにより業績向上が期待できるはずである。

日本人と地震

日本人の一番怖い物は昔から「地震、雷、火事、親父」という諺がある。
現在、「親父」の方は「妻」だったり、「嫁」であろうか。
「地震」も「のど元過ぎれば熱さを忘れる」となにも起こらなかった如く脳の記憶は忘れていく。日本人の寛容さはどこからきているのだろうか。

平成になってから「阪神淡路地震」「東日本地震」と大きな地震が起きた。その復旧に関連者は日々おわれているが、傍観者でしかない個人は段々記憶の外へと追い出されていきつつある。

「脳」の「海馬」は新しい情報を記録するが、古い情報は「大脳皮質」に納められていく。古い情報に分類されると記憶は変質していくらしい。
日本の地震の記録は416年(允恭5年)の「允恭地震(いんきょうじしん)」からである。文字が伝来されてから記録され残った。以前の地震の記録は存在しない。4世紀後半以前には地震がなかったのだろうか。

599年(推古7年)には「推古地震」が起った。聖徳太子が予測したと言われている。文字を読めた太子は書物から地震の起る原理を知っていた。

日本列島は4つのプレートが押し合い引きあいしながら島国
を造り上げた。だから頻繁に地震は起こっていたはずである。
古代人は地震が起きたら「沈黙」しながらその恐怖に耐え忍んだ。逃げる場所が列島しかない。諦めるしかない。

その内、時間が経過すれば地震の震動が止まり、正常な生活に戻る。被害のあったところは人力と給付金で復旧させていく。
時間が恐怖の記憶を脳から消え去っていく。毎日の生活に戻るようにトラウマを克服していく。
しかし、天の采配はそれなりに責任を問いかけてはいる。

827年(天長4年)には「京都群発地震」がおき、淳和天皇(じゅんなてんのう)は「不徳の詔」を発した。
830年(天長7年)には「天長出羽地震」が起き、淳和天皇は二度も「不徳の表明と援助の詔」を発し、833年(天長10年)には甥の正良親王(まさらしんのう)(仁明天皇)に譲位してしまった。
「地震」は天に近い「天皇」の治世に責任があると考えられていたのだ。皇族も摂関家も黙しているだけである。

一人、菅原道真だけが中国の書物により「地震発生の原理」を理解していたようだ。文官登用試験に「地震の起る原理」を問われて回答している。試験官も知らない回答だったが、それで受かった。後に失脚する遠縁でもある。
 日本人は地震に対して沈黙し、そして忘れることで責任逃れをするしかない。自分には「地震の発生」には関りのない地位である。ただ生き延びるために頑張るしかない。そして、日々の生活に埋没し。次の地震は私の所にはこないと信じている。
しかし、近々に南海トラフ巨大地震」が予想されている。私には関係ないとも言っておれない状況である。

もっと地震について、いや、列島について知識を広げていかなければならない。
「備えよ常に」とは軍国時代の用語であるが、地震についても当てはまる。
頭の片隅に地震が起きたら、どう逃げようか。どう対処すべきか。どう生存を確認しあおうかと相談しておく必要がある。
「天災は忘れたころにやってくる」という諺があるが「忘れる暇もなくやってくるのは確かだ」

文責:和田

真っ赤な品質マニュアル

2017年11月審査の受審組織から送られてきた品質マニュアルは、表紙は、黒色で書かれていたが、本文は、すべて赤字であった。確かに「真っ赤な品質マニュアル」であった。「真っ赤な品質マニュアル」は、読みづらい面が多々あった。それにしてもこんな「真っ赤な品質マニュアル」を作成して送ってきたのだろうか。

私が所属している審査機関では、受審組織との間で、審査資料を受け取っている。審査員が直接受審組織から資料を受け取ることはない。移行審査4か月前に受け取ることになっている。しかし当組織からの資料は、遅れてきていた。たぶん組織から送られてくるのが、遅かったのであろう。

11月に審査に行ったとき、なぜ「真っ赤な品質マニュアル」にしたのか、理由を聞くことにしようと、審査計画書を作成し、受審組織に了解を取り、審査機関に提出・承認を受け、審査機関から、受審組織に送られた。審査準備で「真っ赤な品質マニュアル」をプリントアウトし、そのほかの審査資料も併せて、プリントアウトして持って行くことにした。

審査当日、管理責任者インタビューでまず「真っ赤な品質マニュアル」の理由を率直に聞いた。管理責任者から、次の話があった。ISO9001:2015では、品質マニュアルは、要求事項ではなくなったので、作成していなかった。しかし審査機関から品質マニュアルの提出を求められ、品質マニュアルを作成していないと答えた。しかし品質マニュアルを提出してくださいと、再三要求された。それで抵抗の気持ちをかねて、「真っ赤な品質マニュアル」を作成し、提出期限を遅らせて送ったという。

確かに当審査機関は、品質マニュアルを求めている。一応品質マニュアルがない組織は、審査に必要な資料を送って欲しいと言っていると聞いている。それが品質マニュアルを提出してくださいとなったのであろう。この「真っ赤な品質マニュアル」は、ISO9001:2008で多くの受審組織が品質マニュアルとして、記載した、4.1から10.3までのデッドコピーであった。注記までもコピーされていた。確かにこのような品質マニュアルが多いことは、事実だ。

ISO9001:2000が出たとき、品質マニュアルは要求事項にあったが、3項目の記述要求であった。要求事項通り3項目のみを記載した受審組織は、少なかった。ある審査機関では、3項目をA3用紙1枚に記載した品質マニュアルを推奨していた。しかしこれは、横に広がらなかった。多くの受審組織は、過去1994版と同様、規格要求事項のコピーであった。確かに94版では、規格のデッドコピーと同様なものを求めていた。それが審査をやりやすくし、同じ手順を求めるものであった。しかし00版からは、規格要求事項からの審査でなく、受審組織の風土、文化を尊重し、受審組織のプロセス、手順に従って行うようにとあった。

広く考えれば、QMS(品質マネジメントシステム)だけでなく、EMS(環境マネジメントシステム)、ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)等は、マニュアルを要求していない。しかし多くの受審組織は、マニュアルを作成している。それは、規格のデッドコピーが多い。審査機関、審査員は、審査時網羅性を考えた場合、いいものだ。ある面、審査機関が受審組織のマネジメントシステムの構造を画一化させたり、文書類を規格の箇条と一致させる、規格の特定の用語を使用させる 等につながっている。これらは、各マネジメントシステム要求事項の序文に、これらを求めるものではないと書かれたものに違反している。

規格要求事項のデッドコピー等を求められた受審組織から審査機関へのクレームはない。受審組織は、審査を受け、登録し、登録証を維持するために、審査機関の言いなりになっていないだろうか。品質マニュアルの側面から見たが、本当に役に立つ審査、審査機関として適切か、を受審組織としてみていく必要があろう。受審組織は、審査の質を上げていくためにもっと強く、審査機関にもの申す、改善を働きかける必要があろう。審査機関も要求事項に忠実に、受審組織に負担をかけないようにしていくことが求められるのではないだろうか。

注:ISO17021では、審査員の知識、技能を要求している。専門性をもった審査員が受審組織に行き、審査することを求めている。従って、ISO9001の要求事項は、受審組織では、どのようになっているかの大まかなものは、知っているはずである。

ISO取得に関する助成金情報(東京都大田区)

公益財団法人大田区産業振興協会(東京都)では、ISO9001等の取得経費の一部を助成しています。
応募に際し、様々な条件がありますので、以下URLを一読してからお早めにご応募ください。

尚、人気があるとのことで、この案内を掲載された後に、募集終了になっている可能性があります。その際はご容赦願います。
ISO認証に対して助成を行なっているところは多くはありません。
大田区ある企業のみなさんチャンスです。条件が合えば是非ご検討を。
http://www.pio-ota.jp/business-consulting/business-supoort-services2.html

なぜ日本人はリスク管理が苦手なのか

あなたはリスクという単語の語源をご存知でしょうか。
諸説ありますが、先日リスクマネジメントの分野でも有名な片方善治が、リスクの語源はラテン語の「risicare」であるといわれていました。
この単語は、「勇気をもって試みる」という意味なのだそうです。
だから、リスクという単語は、元々危険なものというような意味ではないということです。

この「勇気をもって試みる」という行動、どこかで見たり聞いたりしたことはありませんか?
実はこれ、RPGゲーム「ドラゴンクエスト(通称ドラクエ)」そのものであるということができます。
伝説の勇者が強大な悪の魔王に立ち向かうため勇気をもって行動し、仲間や情報、武器や防具を整えてこれを倒しに行くというのは、まさに大いなる「リスク」なのです。

そう考えると、日本人はリスク管理が苦手というのは、どうも違うような気がします。
300万本以上売れる一大ゲームソフトが好きな国民がリスク管理が苦手ということはちょっと考えにくいことです。
もしリスク管理が苦手なら、ドラクエをやりたいと思わないでしょう。

だから、おそらく日本人はリスク管理が苦手なのではなく、リスクの定義が苦手なのではないかと思います。
日本でリスクといえば地震や台風等の天災が主なリスクと考えられています。
これらは克服することが非常に困難で、しかも一時的なものなので、「勇気をもって試みる」という種類のものではなく、「最小限の被害でやり過ごす」のが合理的なものということになります。
それらをリスクとして認識しているので、リスク=危ない⇒適当にやり過ごそう、というロジックになるのではないでしょうか。

BCPやBCMでいいう「リスク」は組織の健全な存続を脅かすものであり、天災がすべてではありません。
その天災以外の事象に対し「勇気をもって」その克服を「試みる」ことが必要です。
もちろん天災も被害を最小限に抑えるという「risicare」は必要ですが、そこで思考が止まってしまっているのが、日本人はリスク管理が苦手と言われる一因ではないかと我々は考えています。

どうでしょう。
ここらへんで一度リスクというものをもう一度整理してみては。
ドラクエだって、最初(LV.1)から悪の魔王と乾坤一擲の大勝負などしません。
情報を集め、倒せる方法を見出し、力を蓄えてラスボスに挑みます。
BCPやBCMもそれと同じようにすれば、苦手意識も消えるのではないでしょうか。

特定非営利活動法人日本BCM協会