情報や記録の価値

ある事象に対する情報やデータ**をある意図をもって解釈し、その価値を誇張したり、強調して編集され、加工されて伝達される、これが情報操作である。一般的に、悪い意味で用いられることが多い。報道機関にあっては、この行為は、本来の情報の価値を失うばかりでなく、人心を惑わし、扇動するリスクになりかねない。リスクとしてこれほど怖いものはない。やってはならない行為であり、禁じ手である。

 情報は、客観的事実を根拠にありのままに、迅速に、利害関係者に伝えてこそ利用価値がある。

何が起こったかの事実(事象)は、たった一つしかない。一つしかない事実が、立場によって意図が働けば、受け止め方も解釈が異なり、公平性に欠けることになる。例えば、原告と被告の関係、加害者と被害者の関係、製品やサービスに対する顧客満足評価の関係も製造側とユーザーとで異なることがよくあり、訴訟や賠償、製品品質問題、クレームなどが発生する。これらの事象は、あくまでも事実をよりどころとして利害関係者間で生ずる問題を社会通念、原理原則に照らし合わせて調停・裁定し、解決される。

しかし、これらの案件がある部分しか知らされないとか、誇張されて報道されたりとなれば、報道機関の責任は重大である。国際社会において将来の方向性のない、短絡的な考え方や営利目的に主眼を置いた偏った報道に終始すれば、間違いなく、国の将来を危うくする。

スポンサーも過大広告、宣伝に固執すれば、民衆の支持を失う。誘導するリスクを負っていることを常に自覚する必要がある。アスリート、観客、視聴者という顧客があってこそのスポンサーであることを認識することである、例えば、オリンピック開催時期を開催国の都合や気候を最優先すべきであり、スポンサーの意向で決めるものではない。このような短絡的な考え方に固執すれば、ゆくゆく、本来の顧客(スポンサーファーストではない)を失い、オリンピック精神に反し、衰退の一途を辿ることになるであろう。金が掛かり過ぎるという理由で積極的に開催国として名乗りを挙げる国や都市の減少傾向がすでに始まっている。

一方、記録の価値とは、何故、記録をとる必要があるかは、システムや仕組みを維持・改善するために記録をとる場合と計画目標に対する達成状況を評価(検証)するための2つがある。いずれの場合においても検証で最も重要なことは検証データをどこまで掘り下げて客観的事実として捉えることができるかであり、そこから先は推測(仮説)しかできない領域であることを明確に切り分ける必要がある。とった記録がどこまで客観的事実として分かったこととして利用できるかをはっきりさせる。つまり、とった記録に推測も含めた拡大解釈の重荷を課してはならないのである。それを許すと、折角とった記録が、次の段階で適切な見直し計画を立てることを難しくして効率の良い、有効な検証データが得られない、無駄な計画になり兼ねないのである。事実か推測かを明確に識別することは、見直し計画の最適化に不可欠な前提条件を提供していると言っても過言ではい。

 

*情報:意味のあるデータ、**データ:對象となる事実

注)用語の定義は、ISO9000:2015「品質マネジメントシステム-基本及び用語」による。

                      

執筆:佐野 興一

特定非営利活動法人日本BCM協会