地震と予知能力

私は、富山生まれ育ちで地元のNTT(当時は、日本電信電話公社)に就職し、情報処理システムDIPS関連ソフトウエアの開発グループに配属していた。もともと北陸は、地震発生の少ない地域であるらしく、少年時代から大きな地震に対する特別な思いを抱いていたようだ、恐怖心が強く、できることであれば、地震発生の少ないこの北陸での生活を望んでいた。

しかし、現実は、そう甘くはなかった。昭和50年に東京勤務を命じられ、郵政省為替貯金システム関連ソフトウエア開発設計を担当した。5年間勤務した後に、北陸に転勤を希望した。

 当時、経理システムのソフト設計グループが金沢にいたので、次期システムの情報処理装置を東京大手町ビルから移設させることになった。兎角、地方の人間は、仕事で上京することは喜ばしいことであり、憧れに近い感情を持った。私もその一人であった。その反面、地震発生頻度の高い土地へは引っ越しには、いささか抵抗があった。

そのころから地震に遭遇しないように極力回避しなければという気持を強く持つようになり、自分に予知能力があれば、いいなと思うようになっていた。

 ナマズと地震について日本で最初に流行したのは、江戸時代・1855年の安政江戸地震の直後に発行された、ナマズの錦絵に由来しているようである。それまで伝承や一部での流言程度でしたが、江戸時代に「ナマズが暴れて地震が起きた!」といいうところから、鹿島大明神がナマズを押さえつけたり、地震に託けて儲けようとする絵が出回りました。

安政江戸地震から約200年経った現在、真面目にナマズと地震予知能力の関係について研究が進められていますが、結論から言うと「ナマズと地震の関係は薄い」ということである。

 情報処理装置の移転設置計画では、次の基本条件を堅持しながら、果敢に遂行していった。

  • 設置コストを必要最小限に抑える。
  • 情報処理装置の性能評価結果より選択する。
  • 設置場所はリスク低減の観点から、地震の発生頻度の少ない地域(金沢など)
  • 空き部屋の利用

当システムの導入には、多額の設計費用を必要としたため、収入の少ない北陸支社では、支社の学園敷地を売却して賄った。このシステムの地方導入施策により金沢に若い技術者が育ち、北陸先端科学技術大学院の創設に寄与したと思っている。

導入当初は多くの批判に晒されたが、これを機にシステムの地方導入が積極的に進められていった

自分の考えを最後まで貫き通して成果に繋がったことに満足している。

人間には、予知能力はないらしいが、予測することはできる。

例えば、首都直下地震が、この30年以内に確率70%で起こり得る、というように。

執筆:和田 正光

特定非営利活動法人日本BCM協会